生活と暮らし
エミールでは「暮らし」を大切にしています。では「暮らし」とは何か。「生活」との違いは? 広辞苑を検索してみると「生活:生存して活動すること。生きながらえること」と出てきますが、「暮らし」にヒットする意味は出てきませんでした。“生活” をもう少し掘り下げて見ていくと、生きていく為の経済面や衣食住に対しての日々の営みに関する意味合いが強いように感じます。一方 “暮らし” とは日々の営みにとどまらず、ライフスタイルなど生き方も含めた意味合いが濃くなります。つまり「生活=暮らし」ではなく「暮らしの中に生活がある」というイメージ。生活に関する習慣や手段は具体的に挙げる事ができるので実行しやすいですが、暮らしは抽象的な事を多く含むので具体的に何をすれば良いのかなかなか見えません。それだけに暮らしに目を向けるにはココロとカラダにある程度のゆとりが必要です。
現代社会は忙しく常に時間とやることに追われています。仕事、習い事、その他やるべき事が最優先で生存(生きながらえる)の為に必要な食事、睡眠、運動などのいわゆる生活習慣は二の次三の次になっています。その結果、健康な状態で元気に生きていく事が難しく、常に疲れていたり、ストレスを抱えてイライラしたりと生活面での安定が図れなくなっています。暮らしは衣食住の生活基盤が上手く循環した先にあるもの。生活においての安定が図れないと生き方を含めた「暮らし」を大切にすることは難しくなります。
現実問題として時間とやることに追われる日々は変わらなくとも、出来る範囲で生活の一つ一つに心を込めていると少しずつ主体的に暮らしている実感が湧いてきます。毎日は出来なくても、忘れていても頭の片隅に置いておくだけで大丈夫。それがいつしか習慣になっていくと「暮らし」そのものが彩り豊かで充実したものとなっていくことでしょう。
暮らしは健全でげんきな体を作る事からはじまる
暮らしのベースになるものは生活。生活のベースになるものは食事、睡眠、運動などのいわゆる生活習慣。現代はこのどれもが後回しになり仕事や予定の合間に生活をしている状態になっています。
第二次大戦以降「より良い暮らしにする為に」「より便利な世の中にする為に」という想いと勤勉さで高度経済成長を遂げ、日本はここまで発展してきました。その一方で「生活」そのものや「暮らし」への意識が少しずつ薄れていき、成果を上げる為に身を粉にして頑張る事が善しとされ、効率重視の社会になっていきました。それに伴い私たちの健康度は下降気味になってきた様に感じます。それが一番色濃く反映しているのが食生活。分かりやすい例がメタボリックシンドローム(通称メタボ)です。現代はこうした未病の方が増えています。未病とは今は病気ではないけど気を付けないと病気になりますよ!という状態。病気でなくても健康度は下がります。健康度が低いと何もしなくてもエネルギーの消耗が激しく活発に活動するパワーが沸かず、常に疲れていたり何となく調子が悪い状態が続きます。その時、カラダの中からパワーを生み出す食事に上手く切り替えられればいいのですが、ほとんどの場合 特定の物を足したり控えたりすることにより問題を解決しようとします。その結果、更なる栄養の偏りが生じて問題が解決するどころか新たな問題を抱える要因を作ってしまうケースが多いのです。
「野菜は栄養があるから積極的に食べた方がいい」「お米は糖質で体に良くないから控えよう」など、ある一つの側面だけから見た善し悪しの判断は実は偏りを生みやすく健康度を下げる要因になるので勿体ない!この世の中に100%良い物も100%悪い物も存在しません。メリットとデメリットは常にワンセットです。日本の食事と言えば主食(ごはん)を軸にした和食でしたが、経済の発展に伴って諸外国(特に西洋)の食生活が浸透し始め、それと共に徐々におかず中心の食事へと移行していきました。近年の糖質制限、炭水化物を控える動きでその勢いは更に増しています。メリットとしては日本にいながらにして世界中の食を楽しむ事が出来、心の豊かさを感じられること。デメリットとしてはおかず中心になったことによる健康度の低下です。時代と共に生活や暮らしが変化していくのは自然な流れですが、それが健康度を下げてしまっている場合はちょっとした見直しが必要だと感じます。いつの時代も大切なのは健全で元気な体であること。その為にある程度の知識とそれを生活に無理なく取り入れる智慧を身に付けておくと取捨選択が上手に出来るようになります。
ちょっとした賢さを身に付ける
現代は情報化社会。ネットやスマートフォン等の普及により個人が受け取る情報量は格段に多くなりました。ここでもメリットとデメリットはワンセット。メリットとしては、知りたい時に知りたいことをすぐに調べられる便利さ。反面、情報量が多すぎる事でどれが正しいのか分からなくなったり、自分にとって有用な情報がどれなのか見えにくいという側面があります。ではどういう基準を持っておくといいのか・・・。
食に関することで言うと 「日本人の体質や気候風土にあっているか」「長期的に(一生)無理なく続けられるか」「自分の生活スタイルにあっているか」「手に入りやすいものか」です。知識を沢山持っているだけでは宝の持ち腐れ。『自分の選択の基準を決めておく』というちょっとした賢さを持っておくことで必要な情報を取捨選択できるようになり、生活の中に取り入れて活用しやすくなります。
QOL(クオリティー・オブ・ライフ)
クオリティ・オブ・ライフ(英: quality of life、QOL)とは、一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことを指し、つまりある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。QOLの「幸福」とは、身心の健康、良好な人間関係、やりがいのある仕事、快適な住環境、十分な教育、レクリエーション活動、レジャーなど様々な観点から計られる。またQOLには国家の発展、個人の人権・自由が保障されている度合い、居住の快適さとの関連性も指摘される。したがってクオリティ・オブ・ライフは、個人の収入や財産を基に算出される生活水準(英: standard of living)とは分けて考えられるべきものである。
引用元:Wikipedia |
QOLは「身心の健康」「良好な人間関係」「やりがいのある仕事」「快適な住環境」「十分な教育」「レクリエーション活動」「レジャー」など様々な観点から計られています。どれも人生の質をより豊かにする為に必要なものですが、その中でもまず注目したいのが “身心の健康”です。それを支えているのが食事、睡眠、運動などのいわゆる生活習慣。日々のストレスや疲れをその日の内に回復させ翌日への活力を生み出せる体が理想ですが、現代社会は忙しく常に時間とやることに追われており、身心の健康を維持できる生活は後回しになっています。要因としては個人の問題というより、社会的に健康を維持することが難しいしくみになっている事が大きいと思います。では今の社会である限り健康でいることは無理なのかというと決してそうではありません。
“忙しくて時間がない” “環境的に不規則な生活になってしまう” などどうしても変えられないものはあります。しかし「時間がないから仕事をしながら食事をする」「作るのが面倒くさいからお菓子で済ませる」「何かを成し遂げる為に睡眠時間を削る」などは社会の問題ではなく個人の選択です。体はあなたがどの様な物を食べようと、どんな生活習慣を送ろうと与えられた環境の中で活動のエネルギーを生み出し日々命を繋いでくれています。でもそれにも限界があります。疲れが取れない、元気が出ない、やる気が沸かないなどの不定愁訴は「生活習慣見直して~!!」という体からのサインです。
現実問題として生活環境は変わらなくとも、まずは「休みの日の夕食はゆっくり時間を取って食べる」「食べている間は仕事はしない」「週何回か一駅手前から歩いて出勤する」「5分でも10分でもいいから布団に入る時間を早くする」など、無理なく出来る範囲の事から意識してみて下さい。たとえ出来ない時があっても頭の片隅にあれば、ふとした時に思いだせるのでそれで大丈夫。小さな積み重ねがいつしか習慣になっていくと主体的に生活している実感が出てきます。生活習慣の変化で身心の健康度が上がると「良好な人間関係」「やりがいのある仕事」「快適な住環境」「十分な教育」「レクリエーション活動」「レジャー」などの暮らしに目を向けるゆとりも出てきます。
生きていく上でベースになる暮らし。それを支えているものが生活です。まずは生活で身心の健康を身に付ける事が、暮らしの質を上げる事に繋がります。クオリティ・オブ・ライフは、個人の収入や財産を基に算出される生活水準とは関係ありません。どんな環境下にいても主体的であることで暮らしはデザインできます。「幸福度」を上げる可能性は自分自身の選択によっていくらでも広がるのです。